2010年8月11日(水)

菅総理の日韓併合100周年「談話」

 日韓併合100周年に際する菅直人総理の談話について日本では賛否両論の声が起きている。

 韓国を36年間植民地統治した日韓併合の年から100年目という節目の年を迎えて、加害国の日本が何事もなかったかのようにしかとを決めれば、被害国の韓国としては心穏やかではないだろう。韓国からとやかく言われなくても、自ら進んでそれなりの礼を尽くすのが、人としての、国家としての道理であり、責務であると思う。その意味では総理談話は大いに評価できる。

 日本国内には「いつまで謝ればよいのか」との「反対論」も根強くあるようだが、それが世論ならば、「もう謝らない」と韓国に通告すれば良いのでは。簡単な話だ。嫌なら、やらなければ良い。それだけのことだ。韓国がそれで納得するかどうかは、別の問題だ。

 「韓国への謝罪は終わった。二度と謝罪するつもりはない」との方針が日本の国益に合致し、国際社会にも受け入れられ、かつ日韓関係にもプラスになると考えるならば、そうすればよい。

 ところが、タカ派と称される与野党の政治家もいざ韓国と面と向かうと、腰が引け、口篭ってしまう。今回、談話発表に批判的だった安倍晋三さんもせっかく総理になったのにいざとなったらできなかった。いつも思うのだが、日本国内の反対論は「井の中の蛙」だ。韓国に自ら乗り込んで、談判し、決着付けようとする度胸もない。

 菅総理の談話に民主党内では将来の総理候補でもある公務員制度改革担当相の玄葉光一郎さんや財務相の野田佳彦さんらが異論を唱えたそうだが、仮に彼らが総理になったときに有言実行するのかみてみたいものだ。それで歴史が前進するのか、逆行するのか、その時、はっきりわかるだろう。

 韓国も韓国だ。「我々が納得するまで」と思っているのかもしれないが、謝りたくない国にこれ以上、無理強いすべきではない。子供でもあるまいし、無理やりに頭を下げさせるのはよくない。

 過去15年間の日韓の歴史を振り返ってみても、一目瞭然だが、相変わらずこの種の問題では堂々巡りが続いている。

 金泳三政権(1993−1997)の時、村山政権下の95年江藤隆美総務庁長官が「植民地時代に日本もよい事をした」と発言したことにカチンときた

 金大統領が村山富市総理との会談を拒否し、「今度こそ、日本の悪い癖をなおさせる」と発言したことがあった。

 また、盧武鉉政権(2003−2007年)の時も03年に来日した際には過去の問題を一切言及せず。未来志向の関係を重視する共同声明を出したものの島根県が05年2月22日に「竹島の日」を制定し、同年10月に小泉総理が靖国を参拝したことでプツンしてしまい「もうこれ以上、見過ごすことはできない。外交的に断固対処する」と発言し、日韓首脳会談を拒否し、日韓シャトル外交を中止したことがあった。

 盧武鉉大統領は韓国の国民向け談話で「これまでは政府間の葛藤を招く外交上の負担や経済に及ぼす影響を考慮し、何よりも未来志向の日韓関係を考えたために自制してきた。しかし、(日本から)返ってきたのは未来を全く考慮しないような日本の行動だ。今はむしろ政府が前面に出なかったことが日本の慢心を招いたのではないかとの疑問が提起されている。これではだめだ。これから政府がやれることはすべてやる。まず外交的に断固対応する」と公言したが、保守、革新問わず、韓国の歴代大統領が日本の対応を問題にしても、「いつまで謝れば済むのか」との声は年々高まっているのが実情だ。

 従軍慰安婦などの個人補償が未決のままであると韓国では問題にしているが、日本政府は一向に聞く耳を持たない。戦時中の空爆による自国民の被害補償についても放置している国である。無駄だ。韓国政府も、止めさせるべきだ。

 被害者は金銭目的でなく、道義的責任を追及するために訴訟を起こしているとのことだが、1965年の日韓条約で中途半端に妥協した時の韓国政府にも問題がある。責任を追及すべきは個人補償をなおざりにし、手を打ってしまった自国の政府である。

 そもそも一般の韓国人は個人の補償問題で「今も納得がいかない」と真剣に思っているのだろうか?半信半疑である。

 と言うのも、最近の「反日デモ」の傾向をみると、動員数は多くて数十人が良いところだ。この種の問題での日本の右翼の動員数よりもはるかに少ない。皮肉なことだが、日本の民族団体のほうが熱心だ。

 狂牛病ではソウルの広場に数十万人も集まるのに、従軍慰安婦問題では日本の大使館前には百人も集まらない。国民のほとんどが素知らぬ顔をしている。これでは、話にはならない。

 政治的にも経済的にも日本に依存している韓国という国はもはや日本を抜きにしてやっていけない国だ。今更、過去の問題で喧嘩別れというわけにはいかないのが実情だ。

 同じ民族の北朝鮮よりも、日本との付き合いが長く、深まったせいか、韓国人の顔は正直、同族の北朝鮮より、日本人に似てきた。韓国が統一すべき相手は北朝鮮ではなく、日本ではないかと錯覚せざるを得ないほど、容姿だけでなく、ファッションも、生活スタイルもどれもこれも似てきた。以前は外見だけで韓国人と日本人を十中八九識別することができたが、今では見極めるのも容易ではない。韓国人はあらゆる面で日本を真似てきたせいなのか「日本人化」しつつあるようだ。

 「本妻」の北朝鮮と決別し、「愛人」の日本に良くも悪くも面倒を見てもらってきた韓国に「愛人」の「過去」をこれ以上問う資格があるのだろうか、甚だ疑問に思う。