2012年9月3日(月)

産経の「めぐみさん生存情報」を検証する

 産経新聞の一面トップに「めぐみさん2001年に生存」との記事が躍っていた。

 「産経」は一面トップで「?」を付けず「めぐみさん2001年に生存」と断定の見出しを付けたわけだから相当自信があるのだろう。

 産経の記事のポイントは以下の5点に要約される。

@横田めぐみさんの夫、金英男(キム・ヨンナム)さんは酒乱だった。
A結婚後、めぐみさんは夫の金英男さんのDV(家庭内暴力)により精神的に衰弱していた。
B拉致被害者を監督する北朝鮮当局が金英男さんにDVを止めるよう指導したが、改善されなかったため93年3月に二人を離婚させた。
C1半年後の94年9月にめぐみさんは別の対日工作員の男と再婚し、96年11月に男児を出産した。
Dめぐみさんは2001年当時、平壌市龍城区域の招待所で生活していた。

 以上の情報からして「1994年4月に自殺した」との北朝鮮の発表は真っ赤なウソという結論に達している。

 「産経」によると、この情報は日本政府に二つのルートからもたらされており、一つは「北朝鮮の内部事情に精通する消息筋」で、もう一つは「2002年11月に脱北した労働党の元工作員」のルート。

 めぐみさんの「生存」が2001年の時点に限定されているのは、情報提供者である「労働党の元工作員」が1年後の2002年に脱北しているからなのか、それとも「北朝鮮の内部事情に精通する消息筋」が2001年までしか北朝鮮の内部事情を把握していなかったのか、定かではないが、いずれにせよ、これら情報が間違いないならば、「横田夫妻がめぐみさんをしっかりと抱きしめることができる日まで、全力で取り組んでいく」(安部晋三総理、2007年7月27日)「拉致問題の解決というのは、例えば、横田めぐみさんが横田滋さんや早紀江さんと抱き合う姿を日本の国民が見ることだ」(松原仁拉致問題担当大臣 2012年8月25日)と、日本政府が一貫して「めぐみさんは生きている」との「前提」で日朝交渉に臨むのは至極当然のことだ。そこで、検証だ。

 1.めぐみさんの夫、金英男さんの酒乱の可能性について

 金英男さんは高校の時に韓国から拉致された不幸な境遇を考えると、酒を飲まずにはいられなかったことは十分に推察がつく。酒乱だったかどうかは1994年まで招待所がある同じ村で暮らしていた蓮池さんや地村さんら帰国拉致被害者から聞けば確認できる話である。すでに政府は確認しているのかもしれない。

 2.夫のDV(家庭内暴力)の可能性について

 帰国した拉致被害者の地村富貴恵さんの証言では、大韓航空機爆破事件の容疑者、金賢姫に日本語を教えたとされる「リ・ウネ」こと田口八重子さんと84〜86年まで同居していためぐみさんは85年頃から金英男さんの招待所に行って、日本語を教え始め、そして翌年の86年8月に結婚している。

 曽我ひとみさんとジェンキンスさんのケースと同様に北朝鮮当局の「指示」もしくは「強制」に基づく結婚である可能性は否定できない。金英男さんは「めぐみは私の初恋の人、愛し合っていた」と語っているが、当時の韓国人の心情からして、現地の朝鮮人や在日朝鮮人帰国者の娘ではなく、日本の女性と結婚させられたことに仮に不満に持っていたとするならば、DVも否定できない。

 3.「1993年に離婚した」のは事実か?

 正式に離婚したのかどうか不明だが、二人が93年頃から別居していたことは帰国拉致被害者らの証言がある。

 蓮池夫妻の証言では、めぐみさんは1993年1月頃からノイロ−ゼになって入院している。上記の情報では二人の離婚はそれから2か月後の93年3月となっている。奇しくも、北朝鮮が最初に「93年3月に自殺した」と日本側に通告したこととダブっている。二人が別々に暮らし始めたことは、めぐみさんが94年6月に地村夫妻が住む招待所に「1人で引っ越してきた」との地村夫妻の証言からも明らかだ。

 仮に正式に離婚したならば、金英男さんの「死亡した日に病院に行って、自分の目で確かめた」とか、「遺骸は病院の裏山に埋葬し、その後に火葬した」とか、「遺骨の一部を手元に保管していた」との話は極めて不自然で、作り話ということになる。というのも、離婚して、アカの他人になったのならば前妻のためにそこまでやる必然性がないからだ。

 4.1994年9月に別の対日工作員の男と再婚し、96年11月に男児を出産した可能性について

 「1993年1月頃からノイローゼになった」めぐみさんは94年3月に病院に入院している。この時期の入院については蓮池薫さんが「94年3月に精神病院に入院する準備を手伝った」と証言している。

 さらに同年4月には義州の39号病院に再入院している。「めぐみさんを届けた運転手から入院先は義州の39号病院で、病室にはテレビがあり、看護婦が一人付き添う特別待遇だったと聞いた」と蓮池さんは語っている。

 そして、2か月後の6月にはめぐみさんは地村さんの招待所の隣に引っ越ししている。「94年6月に自分たちの隣に引っ越してきた。数ヶ月そこに暮らしていたが、その後の行方はわからない。かなり鬱状態が激しく、精神的に不安定の状態だった。北朝鮮の対外情報調査部幹部が看病していた。」と地村富貴恵さんは証言している。そもそも、富貴恵さんの証言からして「94年4月に自殺した」との北朝鮮の主張は崩れている。

 さらに、94年9月に別の対日工作員の男と結婚したのが事実ならば、再婚相手は、めぐみさんを看護していたこの調査部幹部か、もしくはこの幹部から命じられた工作員ということになるが、可能性としては、数か月間、同居し、面倒をみていたこの幹部の可能性が高いということになる。

 以上推理してみたが、幾つか疑問も残る。

 その一つは、精神疾患で再三にわたり入退院を繰り返し「かなり鬱状態が激しく、精神的に不安定の状態だった」病状が僅か3か月で回復し、果たして再婚できるのだろうか?という素朴な疑問だ。

 二つ目は、1994年に「死んだとの噂があって、キム・チョルジュン(金英男=キム・ヨンナムの別名)とヘギョンちゃんが引っ越しした」との蓮池さんの証言があることだ。少なくとも1994年の時点でめぐみさんについては「死亡の噂」が流れていたことだ。

 三つ目は、めぐみさんの精神疾患は、結婚後の夫の暴力が原因とされているが、対韓航空機爆破事件の金賢姫がめぐみさんから日本語を教わっていた同僚の「金淑姫=キム・スッキ」から聞いた話として「淑姫と一緒にいたとき、心を病み少し入院していたこともあった」と証言していることだ。夫の金英男さんも「結婚前から何度か入院したと聞いている」と証言していることだ。めぐみさんは少なくとも結婚前から精神を病んでいたことは間違いないようだ。

 しかし、13歳の時に拉致されたわけだから精神的ショックを受けるのは当然で、それが、結婚後夫のDVで悪化したということも十分に考えられるが、離婚の原因が夫のDVによるものか、それとも、めぐみさんの病状悪化によるものかで、再婚を含めた上記の情報の信憑性が左右される。

 最後に上記の情報が事実なら、哀れなことに娘のヘギョンさんも、お父さんに口裏を合わせていたことになる。

 ヘギョンさんはフジテレビとのインタビューで「母が亡くなったのは6、7歳のときで幼くてあまり記憶はありません。お母さんが入院したとき、病気だということは知っていました。何度か面会に行くと喜んでくれました」と証言している。

 6〜7歳の時というと、ヘギョンさんは1987年9月生まれだから、1993年から94年にかけてである。お見舞いの時期が93年以降なら、93年3月に離婚しためぐみさんを離婚後も見舞っていたということになる。

 さらに「新しい母を迎える前に一度、墓参りしたことがある」とも証言している。金英男さんが再婚したのが1997年だから、1987年9月生まれのヘギョンさんが9〜10歳の頃である。

 お見舞も、墓参りも、嘘ということなのか?