2011年12月7日(水)

八戸の特定失踪者について

 青森に北朝鮮に拉致されたかもしれない「特定失踪者」がいるか。そのうちの一人が八戸市出身の木村かほる(当時21歳)さんだ。1960年2月に失踪したままになっている。生存していれば、現在73歳になる。

 当時日赤秋田高等看護学校3年生で、卒業試験(2月29日)を2日後、卒業式を10日後に控えての失踪だった。

 失踪から20年近く経って、木村かほるさんに似ている女性が北朝鮮で目撃されている。目撃者の一人が、大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫元工作員だ。

 金元工作員は一昨年3月、韓国を訪問した拉致被害者・田口八重子さんの兄飯塚繁雄さんに木村さんの写真を示され、工作員になる前に平壌外国語大学で日本語を教わった日本人女性と「よく似ている」と証言した。金元工作員は昨年7月の来日時にも、同様の証言を日本の政府関係者らにしている。

 金元工作員が平壌外国語大学に在学していた期間は1978年9月から80年3月までの1年半だ。大学2年の80年3月には工作員として中央党に召喚されている。

 木村さんは1938年生まれなので、1978年と言うと、金賢姫が見たときは40歳の頃。失踪してから20年近く経っている。また、金賢姫が大学を中退した時が18歳。そして韓国で木村さんの写真を見せられた時の年齢が48歳。大学を出て30年も過ぎている。

 二十歳そこそこの写真を30年経って見せられて日本語を教えてくれた教師と同一人物であると断言できるかどうかは正直首を傾げるものがある。また拉致された看護学校の生徒が招待所など特殊機関ではなく、一般学生が通う平壌外国語大学の教壇に立つことができるかどうかの疑問も残るが、いずれにしても目撃者がいる限り、徹底的に精査、検証すべきであることには変わりない。

 ちなみに金元工作員は日本に来るまでには手記「いま、女として」(1991年発行)の中で、この日本語の教師は「崔順(チェ・スン)」と名乗り、「1960年代に在日朝鮮人の夫と北朝鮮に渡った帰国者だった」と記していた。

 仮に日本人妻あるいは在日帰国者ならば、週刊朝鮮が公表した「平壌住民名簿」にこの「チェ・スン」の名前が載っているはずである。というのも、「名簿」には「日本出身者」が6、500人おり、そのうち86人は「日本国籍」と記載されているからだ。

 その中に生年月日が同じ「チェ・スン」という名があれば、それが金賢姫が目撃した人物、即ち「木村かほる」さんの可能性が高いと言うことになる。

 ということで、調べてみたら、86人の日本国籍者の中に「チェ・スン」という名の人物が一人いた。国籍欄に「日本」となっている。別名(日本名)は記されてなかった。但し、年齢は87歳となっている。

 名簿は05年に作成されているので、現在、生存していれば、93歳である。木村さんとは年齢が合わない。配偶者は死亡と記されている。

 この「名簿」に載っている「チェ・スン」が金賢姫が大学で目撃した日本語教師なら、当時の年齢は53歳だ。教師に相応しい年齢だ。

 かつての職業を含めもう少し詳しいデーターをみれば、事実確認できるのだが、後は拉致対策本部に任すほかない。

 ところが、一昨日開かれた民主党の拉致対策本部で報告した拉致対策本部の三谷秀史事務局長代理は木村かほるさんを含め特定失踪者については特段言及してなかったようだ。

 三谷秀史事務局長代理は「週刊朝鮮」の名簿について「めぐみさんと一致する部分、しない部分とがあり、断定はできないが有力な情報の一つではある」と言っていたが、「めぐみさんは04年末か05年初まで生存していた」と韓国の国会議員が明らかにした脱北者の情報については「伝聞情報であり、元の情報を伝えた人物についてもまだ確認はできていない」と述べていた。「まだ確認できてない」とはどういう意味なのか?まだ会ってないということなのか、あるいは聞いてみたけど、裏が取れないということなのか?

 また、めぐみさんに関するデーターでは何が一致して、何が一致しないのか対策本部としての分析結果が知りたいものだ。また「めぐみさんであると断定できないが、有力な情報の一つである」とはどういう意味なのか、出席した民主党議員らにはもっと質してもらいたかった。

 なお、木村さんについては昨年10月に中国の瀋陽総領事館や北京大使館に足止めされている十数人の脱北者の中に「母親が日本人拉致被害者」との話が伝わり、それが木村さんではちょっとした話題となったが、その後、別人であったことが判明している。

 なにはともあれ、特定失踪者については情報を一つ一つ精査して、白黒を付ける必要があるのではないだろうか。