2010年1月22日(金)

金賢姫元工作員の「横田めぐみ」発言

 韓国の月刊誌「月刊朝鮮」(2月号)をみると、大韓航空(KAL)機爆破事件の実行犯、金賢姫(キム・ヒョンヒ)元北朝鮮工作員は昨春、日本政府の調査チームとの面談に応じ、その際に「横田めぐみさんと会った」と語っていた。

 金元工作員が韓国南部の釜山で、北朝鮮での工作員修行時代に日本語指導を受けていた「李恩恵」こと田口八重子さんの家族と対面したのが昨年3月。この対面は、マスコミで大きく取り上げられていたのでまだ記憶に新しい。

 日本政府の捜査チームとの面談はその後に行われたようだが、同誌によると、「日韓関係者の間では、内容は秘密扱いになっている」と書かれていた。本当に秘密扱いだったのだろうか?

 そう言えば、産経新聞がすでに昨年4月30日付で「金賢姫元北朝鮮工作員が、『横田めぐみさんと直接会って話をしたことがある』と証言していることが30日、分かった。政府関係者が明らかにした」と報じていたのを思い出した。

 「産経」によると、外務省当局者らがソウル市内で金元工作員と極秘に面会したのは4月28日で、金元工作員は「工作員教育を受けた1980年代初めに平壌の招待所で、めぐみさんから日本語を学んだ同僚の紹介で、めぐみさんと何回か会って話をした」と語ったという。「産経」の報道が事実なら、秘密扱いどころか、翌日には情報が漏れていたことになる。正確に言うと、洩らしていたわけだから、何をいわんやだ。

 それと、もう一つ解せないのは、日本政府の調査チームと会う前までは同じ月刊朝鮮(昨年2月号)のインタビューで横田めぐみさんについて「(めぐみさんが写った)写真をみたことはあるが、会ったことはない」と語っていたはずだ。一体どっちの証言が本当なのだろうか?

 会っていたのに、会っていないと言ったとすれば、それはなぜなのだろうか?なぜ、今日まで田口八重子さんについては証言しながら、同じ拉致被害者である横田めぐみさんについては20年以上も伏せてきたのだろうか?

 「産経」によると、金元工作員は田口さんの家族と面会した際には、めぐみさんについて同僚の「金淑姫(キム・スッキ)」から聞いた話として、「韓国人と結婚し、娘を産んだと聞いた。心を病み少し入院したこともあったが、さほど深刻でないということだった」と証言したらしい。

 韓国人と結婚したことも、娘もいることもすでに衆知の事実で、新証言でもなんでもない。改めて日本に呼んで聞くほどのことでもない。むしろ、日本政府にとって気になるのは「心を病み少し入院したこともあった」との「証言」かもしれない。これならば、秘密にする理由がわからないわけでもない。

 韓国のKAL事件調査報告書や彼女の韓国での証言や手記を元に検証すると、次のようなことがわかる。

 金元工作員が金淑姫と一緒に広州での中国語留学のため平壌を出発したのが1986年7月、帰国したのが1987年1月20日。二人とも同じ龍城(43号)招待所に入っている。

 めぐみさんが韓国人拉致被害者の金英男さんと結婚したのが金淑姫が語学研修のため金元工作員と海外旅行中の1986年8月13日(北の発表)。従って、金元工作員も金淑姫も帰国してからめぐみさんが結婚したことを直接聞いたか、知らされたのだろう。

 また、ヘギョンちゃんが誕生したのが1987年9月13日(北の発表)ならば、金元工作員が大韓航空機爆破の任務を帯び、平壌を出発したのはその2ヵ月後の87年11月20日なのでこれまた出産を知っていても不思議ではない。

 帰国した拉致被害者の一人、地村富貴恵さんの政府関係者への証言では、めぐみさんは94年6月、地村夫妻が住む招待所の隣に「1人で引っ越してきて、数カ月そこに暮らしていた」が、当時のめぐみさんの状況について「かなりうつ状態が激しく、精神的に不安定な状態だった。北朝鮮の対外情報調査部幹部が看病していた」とのことだが、金元工作員の証言が事実ならば、めぐみさんは1987年11月の段階でその程度にかかわらず、すでに精神的に患っていたことになる。

 ということは、夫の金英男(キム・ヨンナム)さんの「めぐみは何度も入院した。わが部門の病院には、結婚前から何度か入院したと聞いている」ことを間接的に裏付けることになってしまうことになる。

 金元工作員は一応「さほど深刻でないということだった」とも語っているが、87年11月20日以降は北朝鮮に帰らぬ人となったわけだから、病状も含めてその後のことを知る余地はない。