2010年9月9日(木)

拉致問題では「菅=安倍」「小沢=小泉」のねじれ現象

 拉致問題は、菅さんか、小沢さんのどちらになるかわからないが、新総理の外交手腕、政治決断にかかっている。14日の民主党代表戦を前に二人の「北朝鮮観」を比較、検証してみる。

 菅直人総理は革新・市民派出身ということから一般的なイメージとして「親朝派」とみられているようだ。

 訪朝歴はないが、日朝国交正常化推進議員連盟に属しているし、民主党代表当時の1999年には羽田孜最高顧問と一緒に訪朝を検討したこともあった。

 しかし、菅総理は党代表だった2003年の総選挙直前に韓国の刑務所に15年間収監されていた日本人拉致の実行犯の一人である辛光洙(シン・グァンス)長期死刑囚の釈放を金大中大統領に求める嘆願書に社民党の土井たか子党首(当時)らと共に署名したことを自民党から暴露された以降は国民感情を意識してか、一転北朝鮮に厳しい対応を取り始めた。

 この年の衆議院選(11月)では同党の西村真悟氏の応援演説で、サダム・フセイン元大統領の銅像が倒されたのを引き合いに「北朝鮮のあの(故・金日成主席の)銅像が倒れる日が来ると信じている」(神戸新聞、03年10月31日)と発言し、強硬姿勢を前面に打ち出した。この年の11月の小泉総理との党首会談では「北朝鮮をテロ国家に指定し、送金停止の措置を取るべきだ」と迫っていた。

 安倍晋三元総理は幹事長時代の03年10月に札幌市内のセミナーで「日本人の原敕晁さんを拉致した辛光洙を釈放しろと言った菅直人民主党代表がハト派なら、私はタカ派で結構だ」と語ったが、その後の菅さんの北朝鮮関連言動は安倍さん顔負けの「タカ」である。

 言葉だけでなく、総理になってからも、北朝鮮への厳しいスタンスには変わりなく、所信表明演説(6月11日)では韓国哨戒艦沈没事件について触れ「許し難いものであり、韓国を全面的に支持する」と発言し、G8では北朝鮮非難声明の採択に奔走した。また、拉致被害者の家族らとの首相官邸での面会(6月10日)の際には北朝鮮に対する制裁強化も約束している。こうしたことから北朝鮮は総理就任から僅か1ヶ月で労働新聞(7月9日付)を通じ「我々への敵対感を露骨に示している」と名指し批判をした。

 菅総理は民主党代表の2003年に中国の戴秉国外交部部長(現在国務委員)と会談した際に「拉致問題が解決しなければ国交正常化はない」と言明しており、総理になった今もこの原則には変わりがない。

 事実所信表明演説でも「拉致、核、ミサイルといった諸懸案の包括的解決を図り、不幸な過去を清算し、国交正常化を追求する。拉致問題では、国の責任において、すべての拉致被害者の一刻も早い帰国に向けて全力を尽くす」と決意表明しているが、これまた歴代の自民党総理の所信表明を踏襲している。

 唯一違うのは、2004年1月のNHKテレビでの討論番組では「思い切って、金正日総書記を日本に招請したらどうか。招請に応じれば、一つの打開になる」と「金正日招請」という大胆な提案をしたことがあることだ。

 この6年前の提案を除くと、韓国哨戒艦事件で北朝鮮批判の先鋒に立ち、大韓航空機爆破犯である金賢姫元工作員を日本に招請し、日韓併合100周年に際する総理談話で北朝鮮について一言も触れず、無視したことにみられるように基本的には圧力重視で、北朝鮮への対応では強硬派と称された安倍晋三元総理とさほど変わらない。

 小沢一郎前幹事長は、自民党の幹事長時代の1990年に後見人である金丸信副総理に勧められ、一度訪朝(1990年)したことがある。しかし、小沢前幹事長の北朝鮮印象はよくない。特に北朝鮮の核開発には警戒心を露にし、対抗措置を取るよう提言したこともあった。

 また、民主党代表だった09年4月には北朝鮮のテポドンミサイル発射について「北朝鮮は絶対的な独裁制の下、人権はもとより国民の生活も確保できない政治体制にある。そのような国が弾道弾や核をカードにして、もてあそぶことは絶対に許してはいけない」と激しく批判していた。

 しかし、朝日新聞の9月4日付の2面の「分析 菅流と小沢流の遠近」という見出しの記事で、菅さんは「外国人の地方参政権には賛成」するなど「リベラル」で、小沢さんは「北朝鮮に対しては対話よりも圧力を優先させるべきだ」に賛成で「保守色が強い」と書かれていたが、むしろ菅総理よりは「リベラル」である。

 「外国人参政権」では賛成どころか、積極的な推進派であることは周知の事実である。また、北朝鮮問題でも基本的には対話重視派である。

 新生党代表幹事時代(1993年)は「核疑惑が解消されれば、日朝国交交渉の最も大きな障害が取り除かれるので、そうなれば、日本は北朝鮮と情報交換と人的交流をしながら、北朝鮮の生活水準を高めるための必要な協力はする」(韓国・東亜日報、93年12月29日付)と語っていた。

 また、今年1月3日付の産経新聞記事によると、北朝鮮による日本人拉致問題をめぐり、複数の民主党関係者が昨年夏以降、数回にわたって中国で北朝鮮側と極秘に接触し、拉致被害者の行方を確認するよう要求していたとのことだが、秘密接触の一つのルートは、小沢一郎幹事長に近いとされる人物である。

 幹事長だった昨年11月には韓国民主党の丁世均(チョン・セギュン)代表との会談で小沢氏は「個人的見解だと前置きし、『拉致問題の解決にこだわらず、日本と北朝鮮の関係改善について結論を出すべきだと考えている』と応じた」「『日本は拉致問題の解決に拘束されず(束縛を受けず)、日朝関係改善問題に結論を出さなければならない』と語った」と、朝鮮日報や中央日報など韓国の複数のメディア(11月13日)が一斉に伝えていた。

 韓国メディアの報道について会談に同席した民主党国際局長の藤田幸久参院議員は「実際には『拉致問題ばかりでなく、さまざまな観点から(日朝の)関係改善についてきちんとした対応をすべきだ』と小沢氏は述べた」と補足していたが、小沢発言が事実ならば、拉致問題解決の方策は、どちらかと言うと、小泉純一郎元総理の考え方に近い。

 総理を辞めた日朝平壌宣言の立役者である小泉さんは福田政権下の08年4月10日、当時盟友だった山崎拓自民党前副総裁らと懇談した際「日朝国交正常化の実現には首相が決着をつけるしかない。自分はもう行くつもりはなく、行くのは首相だ」と述べ、拉致問題解決のために思い切って国交正常化する以外ないとの主旨の発言をオフレコで行っていた。

 このオフレコには続きがあって小泉さんは「福田総理が行くべきだ」と促しながらその一方で「でも福田政権ではできないだろう。もっと強い政権でないと」と述べたと言われている。

 自分の手で拉致問題の全面解決も国交正常化も果たせなかったが、小泉総理は自他共に認める日朝国交正常化の推進論者である。

 一度目の訪朝の2002年9月17日の日朝首脳会談後の記者会見で「日本は正常化交渉に真剣に取り組む用意がある。私は、北朝鮮のような近い国との間で懸念を払拭し、互いに脅威を与えない、協調的な関係を構築することが、日本の国益に資するものであり、政府の責務として考えている」と述べていた。

 また、2年後の2度目の訪朝後の国会答弁(2004年5月22日)でも「私の一番重視している点はいかに日朝の不正常な関係を正常化するか、これにある」と語っていた。

 さらに、2005年の年頭記者会見でも「私は今の北朝鮮と日本の敵対関係を友好関係にすることが北朝鮮のみならず、朝鮮半島、世界の平和のために必要だと思っている観点から、できれば北朝鮮と日本との今の不正常な関係を正常化していきたいといつでも思っている」と、日朝国交正常化実現に最後までこだわっていた。

 小泉さんのオフレコ発言の本音は「国交正常化交渉の過程で拉致問題を解決する」にあるようだ。これ即ち、「拉致問題の解決なくして、国交正常化はない」との政策を修正し、国交正常化を優先させて総理が訪朝しない限り、拉致問題の解決は無理で、それをやれるのは「もっと強い政権」すなわち、小沢さんのような「豪腕」でないとダメとも聞こえなくもない。

 「日本は拉致問題の解決に拘束されず(束縛を受けず)、日朝関係改善問題に結論を出さなければならない」と小沢さんが考えているならば、同じ年の小泉さんと共通しており、拉致問題の解決策をめぐっては菅さんが安倍さんで、小沢さんが小泉さんということになる。

 事実、経済制裁についても「韓国や中国が経済的に支援しているなかにあって日本だけが経済制裁して効果があるとは思えない」(06年3月6日)と言っていた小泉さん同様に小沢さんもほぼ同じ時期に「日本が単独でやっても全く意味がない」と(『論座』06年9月号)と言っていた。

 「菅=安倍、小沢=小泉」とはこれまたねじれ現象である