2011年3月16日(水)

北朝鮮も日本の大震災に慰労を表明

 北朝鮮に対して「食糧危機に瀕し、国連機関に人道支援を要請している現状を勘案すると、物的援助は考えられないが、一言、お悔みや慰労の意はあっても良さそうなものだ」と注文を付けていたが、北朝鮮は朝鮮赤十字会委員長の名で日本赤十字社の近衛忠輝代表に「東北部地方で発生した前例のない地震と津波による多くの人命被害と物質的損失を被ったとの不幸な情報に接して、貴方と被害者、またその家族に同情と慰労を表します」とのメッセージを伝えてきた。当然と言えば、当然のことだが、とりあえずは良かった。

 北朝鮮は1995年の阪神大震災の際には日本赤十字社を通じて1億円の義援金を送ってきたが、今回も額の大小に関わらずそれなりの義援金も送ってくるかもしれない。大事なことは、金額ではなく、困ったときに助け合う隣人としての誠意を示すことだ。

 地震発生の翌日(12日)には朝鮮中央放送が今回の日本の震災を速報していたことはすでに触れたが、党機関紙の労働新聞も13日付(「日本で史上最大規模の地震が発生 莫大被害を招く」)と15日付に(「日本で地震と津波による被害が拡大、原子炉爆破事故も発生」)津波による被害写真を掲載して震災を伝えていた。また、朝鮮中央テレビも13日には被害状況を伝えていた。外部情報を伝えない北朝鮮としては極めて異例の反応だ。

 日本を襲った史上最大規模の地震と津波による悲惨な状況を目の当たりにして、北朝鮮の国民も衝撃を受けているとのことだ。1995年に未曽有の大洪水に見舞われた北朝鮮の人々にとっては、津波による被害状況は他人事ではなかったのかもしれない。

 当時、国連人道援助局に報告された集中豪雨による洪水被害報告書によると、全郡の70%にあたる145の郡が浸水し、全人口の4分の1にあたる520万人が被災した。総人口が2、200万人だから、被災者は総人口の約4分の1にあたった。

 日本は北朝鮮の洪水被害に対して15万トンの無償援助を含め50万トンのコメと医療品の支援を行った。食糧支援は金額にして50億円相当に上る。さらに、96年にも6百万ドル相当、97年にも2千7百万ドルの食糧支援を行った。日本による食糧支援は2000年、04年にも行われ、その結果、95年から04年の約10年間で94万7千トンの食糧が北朝鮮に届けられた。2004年の援助は、拉致問題で日本国民の怒りが高まっていた時のものだ。