2008年12月1日(月)

中断した金剛山観光と開城観光

 北朝鮮は11月24日の通告とおり、12月1日から軍事境界線での陸路・鉄道の通行を制限、遮断した。この結果、金剛山観光に続き、開城観光も中断し、南北の列車往来も全面ストップした。12月1日からは1日19回あった南北出入りも3回に制限され、1回の通行人員と車両も500人から250人に、200台から150台に制限されることになった。南北の経済協力の象徴である開城工業団地でも韓国側常駐員は半減し、前途が不安視されている。

 北朝鮮の一連の強硬措置は「核の解決なくして開城工団事業の拡大は困難」との金夏中統一部長官の3月19日の発言に端を発し、金泰栄合参議長の「先制攻撃発言」(3月27日)でピークに達した。4月1日には李明博大統領の「非核・開放・3000」政策を猛烈に批判し、李大統領への個人攻撃を始めた。4月3日には韓国軍の38度線通過不許可という実力行使に出た。

 その後、韓国の歴史教科書の「北朝鮮主敵論」の復活、前政権が調印した南北共同宣言の否定や金剛山観光客射殺事件の発生、女スパイ事件の摘発、金正日政権打倒ビラ等を問題視し、南北の交流・協力の中断を予告していた。そして、11月6日の「自由民主主義体制下で統一するのが最終目標である」との李大統領の発言で、怒りは頂点に達し、今回の措置となったようだ。

 北朝鮮の「南北関係遮断措置」によって、中断に追い込まれた金剛山観光と開城観光の現状を整理してみる。

 @金剛山観光(1998年11月開始。2008年7月11日中断)

 1998年11月18日、海路による観光が開始。2003年から陸路観光に。2008年3月からマイカーによる観光も可能となった。

 ※日帰りー9千9百円(日本円)、1泊2日―1万8千円、2泊3日―2万3千〜2万4千円。観光客一人当たり、一定額の観光料金を北朝鮮側に支払うことになっており、2泊3日の場合の観光料金は80ドル。

 観光客は1998年が1万人だったのが、2007年には35万人に達した。今年は7月11日に韓国人女性観光客射殺事件が発生し、観光が全面ストップしたが、事件が発生するまで約20万人。08年の目標は55万人。過去10年間で延べ195万人が観光した。

 北朝鮮から金剛山観光開発独占権を取得した現代グループはこれまで9千832億ウォン(6億5千621億ドル)を金剛山観光開発につぎ込んできた。この他に韓国観光公社などの外部投資が1億2千691万ドルある。

 金剛山観光業は2004年まで赤字続きだったが、2005年から黒字に転じ、07年の売上げは3千億ウォン(100億ウォンの営業利益)あった。

 韓国人観光客射殺事件発生後も現代の職員25人を含め194人のスタッフが常駐していたが、12月1日以降は、常駐者はさらに100人未満に減らされ、車両も150台未満に制限されることになった。

 金剛山観光の中断で現代の損失額は800億ウォン(55億円)と推定されている。北朝鮮も観光収入が途絶えることで、経済的損失は大きいものがある。

 北朝鮮は昨年、金剛山観光料として2、038万ドルの外貨収入があった。今年も上半期分(約20万人分)の観光代金として1,074万ドルを受け取っている。

 A開城観光(2007年12月開始。2008年11月28日中断)

 開城は李朝時代の首都で、南北の軍事境界線に近くソウル中心部から北へ約70キロ、バスで約2時間行った所にある。月曜日を除いて、週に6日間実施され、日帰り観光として人気がある。観光客の数は2008年11月14日時点で11万人突破した。

 ※日帰りコースー1万8千百円(日本円)ですが、観光料金として北朝鮮側に100ドル支払われる。1日平均300〜400人が訪れるが、外国人もこれまで2,600人が訪問している。しかし、北朝鮮の通告により、11月28日を最後に開城観光は中断した。

 北朝鮮の通告に従い、現代は常駐職員68人だけを残し、後は全員撤退させた。