2010年10月31日(日)
金正恩後継体制擁立の布陣
●党軍事委員会No.2のポストが後継者
先の44年ぶりに開かれた朝鮮労働党代表者会(10月29日)を前に金正日総書記の三男、金正恩(キム・ジョンウン)氏が突如大将に昇進し、また代表者会での人事で新たに設置された党軍事委員会副委員長に抜擢されたことで事実上、金総書記の後継者に決まった。
中国でも共産党中央委員会で習近平氏が党中央軍事委員会副主席に就任したことで正式に後継者として認知されたが、一党独裁の社会主義体制下にあっては党軍事委員会No.2のポストが後継者であることがわかった。
同じ後継者の身でありながら、二人が唯一異なるのは、習近平氏には軍の階級がないことだ。
正恩氏には大将の称号が授与されている。3年前に金日成総合軍事大学を卒業し、上尉(大尉と中尉の間の称号)となったばかりの27才の若者が大将にまで特進したのは、金総書記の子息、後継者だから成せる技である。しかし、正恩氏は後継者に内定したものの党の公式序列では習近平氏同様に6位である。
正恩氏は、習近平氏とは異なり、政治局常務委員や政治局員には就任していないが、国営放送の序列発表では、政治局常務委員(5人)である金正日(党総書記)、金永南(最高人民会議常任委員長)、崔永林(内閣総理)、趙明録(人民軍総政治局長)、李英鎬(人民軍総参謀長)の次に名を連ねている。
またひな壇の着席順も序列4位の趙明録軍総政治局長が病気欠席していたため一つ繰り上がり、5番目に着席していたが、正式な席順は習氏同様に6番目である。
正恩氏が労働党で唯一ポストに就いている党軍事委員会は1980年の党第6回大会の18人より1人増えて、19人となった。金正日、金正恩、李英鎬、金英春(人民武力相兼国防委副委員長=次帥)、金正角(軍総政治局第一副局長兼国防委員=大将)、金明国(軍総参謀部作戦局長=大将)、金敬玉(党組織担当第一副部長=大将)、金元弘(軍保衛司令官=大将)、鄭明道(海軍司令官=大将)、李炳哲(空軍司令官=大将)、崔富一(軍副総参謀長=大将)、金英哲(軍偵察総局長=上将)、朱圭昌(党軍需工業部部長兼国防委員)、崔相呂(上将)、崔景成(上将)、禹東則(国家安全保衛部第一副部長兼国防委員=大将)、崔龍海(党政治局員候補=大将)、張成沢(党行政部長兼国防副委員長)、尹正麟(護衛司令官=大将)の19人である。
また、今代表者会では党幹部と称される党中央委員と中央候補委員がそれぞれ124人、105人選出されている。中央委員に選出された金正日・正恩父子含め総勢229人である。第6回大会では中央委員195人、中央候補委員146人、合計で341人も選出されていたが、約3分の1(112人)の減少である。少数先鋭制を敷いたと言えなくもない。
党中央委員及び候補委員から選出された最高幹部は政治局員17人と政治局員候補15人合わせて計32人である。政治局員は1980年の党大会の時の13人より、逆に4人増えている。
金正日、金永南、崔永林、趙明録、李英鎬、金英春、全秉浩(内閣政治局局長)、金国泰(党検閲委員長)、金基南(党書記)、崔泰福(党書記)、楊亨燮(最高人民会議常任委員長)、姜錫柱(外交担当副総理)、辺永立(最高人民会議書記長)、李容茂(国防委副委員長)、朱霜成(人民保安相)、洪錫亨(党書記)、金慶喜(党軽工業部部長=金総書記の妹)の17人である。
また、政治局員候補も11人から15人と4人増えた。
金養健(党統一戦線部部長)、金英日(党国際部長)、朴道春(慈江道党責任書記)、崔龍海、張成沢、朱圭昌、李泰南(平安南道党責任書記)、金楽希(内閣副総理)、太鍾洙(咸鏡南道党責任書記)、金平海(平安北道党責任書記)、禹東則、金正角、朴貞順(党組織指導部第一副部長)、金昌燮(国家安全保衛部局長)、文景徳(平壌市党責任書記)の15人である。
一方、金総書記を補佐する書記(秘書)局は11人から1人減って、10人となった。金基南、崔泰福、崔龍海、文景徳、朴道春、金英日、金養健、金平海、太鍾洙、洪錫亨の10人である。
●後見人は4人組?
昨年6月に15年ぶりに表舞台に姿を現した実妹の金慶姫(キム・ギョンヒ)氏は、夫の張成沢国防委副委員長兼党行政部長ともども正恩氏の後見人となるのは間違いない。
金総書記は義弟の張成沢(チャン・ソンテク)氏よりも慶喜氏に絶大な信頼を寄せている。長い間、党内にあって経済部門(軽工業)を担当してきた慶喜氏に大将の肩書きを授けたことがその証でもある。軍歴のない、また党軍事委員も、国防委員でもない女性が大将の称号を手にしたのは北朝鮮歴史上初めてである。慶喜氏はこれから毛沢東亡き後、睨みを利かせていた江青のような存在になるかもしれない。
夫の張成沢氏も妻よりもワンランク下ではあるが、代表者会で政治局員候補、党軍事委員に選出されている。党行政部長、国防副委員長を含め4つのポストを占めたことになる。
金日成主席のパルチサン同志、崔賢(チェ・ヒョン)初代人民武力相(国防大臣)の子息である崔龍海(チェ・リョンヘ)氏も正恩氏の後見人の1人である。
今年還暦を迎えた崔氏は1986年から1998年までの12年間、青年同盟委員長の座にあり、金総書記の信任を得ていた。しかし、98年に不正蓄財疑惑で左遷されたが、4年前の2006年に黄海北道党責任秘書に登用され、復活していた。
金慶喜氏同様に軍歴がないにもかかわらず大将の称号を与えられ、張成沢氏同様に党軍事委員、党政治局員候補、そして党書記にも抜擢された。崔氏は、張成沢氏の子分と言われるぐらい、張氏とは近い存在である。
軍における後見人は、李英鎬(イ・ヨンホ)軍総参謀総長である。
1980年の第6回大会では3席あった政治局常務委員の座は呉振宇(オ・ジヌ)人民武力相が占めてきた。
政治局常務委員ポストは今回5席に増えたが、国防委員でもない李英鎬軍総参謀長が6歳年上の先輩である国防委員会副委員長の金英春人民武力相を抜いて抜擢された。党軍事委員会での人事でも正恩氏と並ぶ副委員長のポストに金英春氏ではなく、李参総謀長が起用された。
約105万人に上る陸海空の正規軍だけでなく、約400万人と推定される労農赤衛隊や赤旗青年近衛部隊などすべての民間防衛隊を統括する人民武力相よりも陸海空を束ねる人民軍総参謀長に金総書記は軍隊における正恩氏の後見人としての期待を寄せていることがわかる。