2012年4月2日(月)

金正恩と党総書記に就任した父親との違い

 北朝鮮が注目の党代表者会を4月11日に開催すると発表した。これで、4月行事の全容がほぼ明らかになった。

 党代表者会を11日に開き、正恩氏が空席の党総書記に就任し、予告の12日に好天ならば衛星を打ち上げ、13日に最高人民会議を開催し、「強盛大国の大門が開いた」と宣言し、15日に金日成主席生誕100周年を迎え、25日の人民軍健軍80周年の式典で最高指導者、最高司令官として一言肉声を発するつもりなのかもしれない。

 それにしても、一昨年の2010年9月に44年ぶりに開いたばかりの党代表者会を2年もしない間に再び開催するばかりか、まだ父親の一周忌も終えてないのに僅か半年でこれといった実績もない29歳の若輩を党総書記に就任させるとは。金主席生存時にすでに最高司令官兼国防委員長に就任し、父親亡き後3年後に52歳で党総書記に就任した金正日氏とは大違いである。

 金正日氏の場合、金日成主席追悼大会を最後に一切姿を見せずやつれた姿をさらけ出したのが百日追悼大会であった。この間、9月9日の建国記念祝賀行事にも欠席した。

 金正日氏は、党総書記や国家主席への就任説も取沙汰されていた時、「我々はなお、切々とした哀悼の感情を拭うことができないでいる。こうした中で(党総書記への)就任行事を組織し、万歳を叫ぶことができようか」と述べたと、当時平壌放送は伝えていた。事実、金正日氏が総書記のポストを継承したのは、3年の喪が明けた1997年10月のことである。正恩氏はたったの4か月で哀悼の感情を拭えたということになる。

 要は、金正恩氏の場合、それだけ事を急がざる得ない状況に置かれているということの証でもある。

 それも、父親の正日氏が党総書記に就任した時とは異なり、正恩氏は党軍事副委員長のポストにあるものの、党書記にも、党政治局員、候補委員にもなってない。まして党総書記に一番近いポストである3人いる党政治局常務委員でもないのに党のトップ選ばれるとは。

 最高人民会議で仮に国防委員長に就任となれば、これぞまさに超法規的な措置となる。なぜなら、正恩氏は最高人民会議代議員ではないからである。代議員の資格がないので最高人民会議への出席も許されないし、当然代議員から選出される国防委員にも、国防委員長にもなれないはずである。

 いずれにしても、北朝鮮は昨年12月に労働党政治局会議を開いて最高司令官に推戴する前から正恩氏について「我が党と軍隊と人民の卓越した領導者」「我が党と国家と軍隊の英明な領導者」として喧伝していたわけだから一応党総書記に就任すれば、これで名実ともに「最高指導者」となることだけは間違いなさそうだ。