2011年7月1日(金)

謎が謎を呼ぶ金正日訪ロ延期の理由

 金正日総書記がロシアの訪問を直前になって中止した理由について6月30日付のロシア紙「コメルサント」は、「訪ロ予定が事前に報道されたため、北朝鮮側が警備面を危惧したことによる」と伝えていた。

 同紙は匿名のロシア政府筋の話として報じていたが、それによると@会談は北朝鮮側が要請した、Aしかし、ロシア訪問がメディアで報じられたため警備面を懸念し、北朝鮮が直前になって中止を申し入れたとのことだ。

 事前に漏れたためドタキャンした?本当だろうか?

 帰国後に訪中事実が発表される金正日訪中の場合、すべてが非公式訪問であったが、過去2度の訪ロは、いずれもプーチン大統領の招請による公式訪問だった。また、訪中と違って、二度とも北朝鮮自らが事前に公表していた。

 最初の訪ロとなった2001年7月(7月28−8月18日)の3週間かけての列車によるモスクワ訪問の際は、二日前の26日に「間もなくロシアを公式訪問する」と朝鮮中央放送による発表があった。

 また今回と同じくウラジオストクを訪れた2002年8月のロシア極東訪問(23−24日)の時も、一週間前の15日に「8月下旬に訪問する」と、これまた朝鮮中央放送が発表していた。

 本当に警備に懸念があるならば、北朝鮮自らが事前に発表はしなかったはずだ。従って、過去のケースを考えると、事前に報道されてしまったため取りやめたというのは、いまひとつ合点がいかない。

 出発予定日の6月29日までに北朝鮮による発表がなかったところをみると、当日にキャセルとなったのではなく、すでにそれ以前に中止となっていた可能性も考えられる。 

 ロシア当局は、金正日訪ロの予定を認めたうえで、あくまで中止でなく、延期であると、説明しているが、延期の理由が何かについては一切触れてない。

 訪ロはロ朝どちらが求めたのか?どちらの理由で延期せざるを得なかったのか?北朝鮮の事情だとすれば、金正日の健康悪化によるもなのか?

 それとも、公式にするか、非公式にするかで折り合いがつかなかったのか?あるい他に原因があったのか?謎が謎を呼ぶとは、このことだ。