2011年6月3日(金)

「奇策」に成功の菅総理、失敗の李大統領

 政局は筋書きのないドラマだけに、映画やテレビドラマを見るよりもはるかに面白い。

 野党が提出した不信任案可決され、菅総理が引きずり下ろされると思いきや、菅総理の「奇策」により、不信任案は否決され、総理の座に踏み留まってしまった。その「奇策」とは、辞任について不信任賛成派と反対派にどちらにも都合よく解釈できるような確認事項を鳩山前総理との間で交わし、また代議士会でそのようなニュアンスの言質を行なったことだ。

 確かに菅総理は確認事項では「辞める」とは約束していない。確認事項では「復興に一定のメドをつける」ことを約束しただけだ。また、代議士会での挨拶でも「私がやるべき一定の役割を果たせた段階で、若い世代の皆さんに責任を引き継いでいただきたい」と言っただけに過ぎない。

 鳩山前総理も、小沢一郎元代表も、「辞任の意向」との見出しを載せたマスコミもどうやら復興基本法の成立と第二次補正予算が編成される1〜2ヶ月の間に辞めるものと錯覚したようだ。手品師顔負けの菅総理はこの「奇策」でなんとか窮地を脱したようだ。

 そう言えば、同じ手を使った人がもう一人いた。お隣の韓国の李明博大統領その人だ。

 在任中の最後の業績として南北首脳会談を画策し、そのため北朝鮮との秘密接触でネックになっている韓国哨戒艦沈没事件と延坪島事件に関して韓国が強く求めている北朝鮮の謝罪について北から見れば謝罪ではなく、南から見れば謝罪のように見える「妥協案」を示していたことが最近明らかになったばかりだ。

 李大統領の特使は北朝鮮に対して両事件について「南北関係改善のために知恵を出して乗り越えるべき山だ」と、金に困っている北朝鮮のカウンターパートナーに袖下まで出して説得を試みたようだが、北朝鮮は「その手には乗らない」とあっさり拒絶。それどころか、そのやりとりまで暴露してしまった。

 李大統領は失敗したが、菅総理はとりあえずは成功したようだ。それもこれも鳩山前総理らの早合点のせいだ。

 そもそも党内賛成派は「菅総理の下では復興は無理」との一念から野党が提出した不信任案に同調しようとしたのに「復興に一定のメドが付いた段階」を受け入れ、「反対」に態度を豹変させるとは、それ自体がおかしい。そう思うと、信念を曲げず不信任案に「賛成」票を投じた松木謙公議員は筋が通っている。造反者は70人とも80人とも言われていたのに、すでに民主党に離党届を出している横粂議員を除いて、最後まで初志貫徹を貫いたのは松木議員った一人とは、情けない。

 その松木氏を党執行部は除籍処分にしたようだ。また、不信任案には賛成票は投じなかったものの「欠席」「棄権」で抵抗した15人の議員には党員資格停止処分にしたようだが、小沢氏についてはすでに党員資格停止になっているので追加処分はなかったそうだ。

 サッカーに例えるなら、松木氏は即「レッドカード」で一発退場(除籍)させられたのに「親分」の小沢氏は二枚目の「イエロー・カード」でも退場させることはできないということだ。

 菅総理も菅総理で、実にわけのわからないことを言っている。「復旧、復興、原発事故に一定のメドが付いた」ということは、それなりに成果を挙げたということになる。ならば、辞める必然性はない。

 本来ならば、やってみた結果、メドが立たなかったので辞めるというのが筋だ。成功すれば継続、失敗すれば、辞任というのが本来あるべき姿ではないだろうか。

 菅総理は「若い世代の皆さんに責任を引き継いでいただきたい」と言っているが、菅さんは小沢前代表や胡錦涛主席、金正日総書記よりも5つも若いし、再来年2月に任期切れとなる李明博大統領よりも6つも若い。

 結局のところ、この発言も、あるテレビ局の世論調査で次の指導者に一番相応しい人物として小沢元代表の名前が出ていたことを意識したうえでの発言で、自分が辞める時には同年代の鳩山前総理や先輩の小沢元代表を道連れにするということのようだ。実に怨念深い人だ。

 とにもかくにも、永田町は魑魅魍魎の世界で、凡人にはわからないことだらけだ。