2011年6月14日(火)

いつの間にか核小型化に成功!?

 韓国の金寛鎮(キム・グァンジン)国防部長官が唐突に「北朝鮮が核兵器の小型化に成功したとみている」と言い出した。

 この国防長官の発言は、昨日開かれた国会の国防委員会の場で飛び出したものだが、その根拠が実に変わっている。

 「北朝鮮が06年と09年の2度の核実験を行った後、相当な時間が過ぎたので、他国の例から見て小型化に成功している時期と判断している」と言うのだ。

 これは、おかしな話だ。というのも、過去の2回の核実験もテポドンミサイル発射実験もいずれも「失敗した」と発表されていたからだ。

 核実験について言うならば、二度目が行われた09年5月25日以後、北朝鮮は一度も行ってない。小型化の実験をしたとの報道も、発表もない。まして「成功した」との報道は皆無だ。では、何をもって「小型化に成功した」と言うのだろうか?あまりにも矛盾する話だ。

 何でもそうだが、開発品は何度もテストを行い、合格して、初めて生産に入る。テストで成功していないものを製造、生産できるはずもない。

 いつも不思議に思っていることだが、米韓両国は、北朝鮮が少なくとも核爆弾を5〜6個は持っていると言っている。それでいて、核実験は二度とも失敗したと言っている。ということは、北朝鮮が現在保有しているのは、未完成品、即ち不発爆弾ということになる。不発爆弾ならば、何も恐れることはないし、北朝鮮に高い代償を払ってまで放棄を求める必要もない。

 結局のところ、米韓両国は、北朝鮮を核保有国とみなしたくないがため意図して過小評価していたのではないかとの疑惑が当然浮かんでくる。

 核兵器の小型化については、すでに米国の不拡散政策教育センターのヘンリー・ソルコフスキー所長が06年の段階で「北朝鮮は核兵器小型化の一つの目安とされる1,000kgの小型化に成功した」と発表していた。

 同所長はその理由として、北朝鮮は1998年以後高性能火薬を使った起爆実験を行ってきたが、その起爆テストは、200kg以下の小型化を目指したデーターを取得するのが目的であったと言うのだ。

 起爆実験について言うなら、北朝鮮は1983年からジュネーブ協定により核開発が凍結した1994年までの間実に70回も核実験を行っていた。さらに核凍結が解除された1997年から2002年9月までの間に新たに70回以上も起爆実験を行っていた(韓国国会での国家情報院の報告)。北朝鮮は実にこの20年間に延べ140回の起爆実験を行っていたことになる。

 米韓両国だけでなく日本でも、06年7月と、09年5月のテポドンミサイル発射実験はいずれも失敗と宣伝されているが、その道の権威である米科学・国際安保研究所のデイビッド・オブライト所長は06年のミサイル発射実験について「模型の核弾頭をノドン・ミサイルに装着し、発射実験を行った可能性がある」との「見解」を示していた。5年前の07年2月に北朝鮮を訪れた同氏はすでにこの時点で「初期段階の核弾頭をノドン・ミサイルに搭載する技術があると判断する」と語っていた。

 もう一人の権威であるブロバル・セキュリティーのジョン・バイク所長も当時「北朝鮮が中距離弾道ミサイルに核兵器を装着できる能力を持っていることをなぜ疑うのか理解できない。北朝鮮はすでに数年前にそうした能力を手にしている」と語っていた。序に言うならば、米国防省のローウェル・ジャコビー情報局長ですら05年3月29日の米上院軍事委員会で「米国防省情報局は北朝鮮が核弾頭ミサイル搭載能力を保有しているとみなしている」と証言していたのだ。今から何と、6年前の証言だ。

 核実験についても06年の第一次核実験の段階でヘッカー国立核研究所名誉所長が「北朝鮮が実験前に中国に通告したとおり当初4キロトンを目標にしていたなら、1キロトンの出力を得たことは、完全とは言えないが、成功的であったと言える」と結論付けていたし、デイビッド・オブライト所長もこの核実験について「北朝鮮が試みたのはノドン・ミサイルに搭載できるよう核爆弾の直径を縮小することにある。彼らは粗雑な核爆弾でそうしたことができる」(ロイター通信、06年11月2日)との見解を表明していた。

 この年、オブライト所長を団長として米核専門家グループが訪朝したが、訪朝団によると、中国当局には北朝鮮から実験2時間前に実験場所、時間と規模が伝えられた模様で「それが事実ならば、北朝鮮は核爆発を統制するため爆発規模を統制する能力を備えていることになる」と分析していた。これらは、いずれも5年前の見解である。

 従って、今になっての金寛鎮国防部長官の発言は全く驚きに値しない。ついに認めざるを得なかったか、というのが正直な感想だ。