2013年11月27日(水)

「イラン方式」が北朝鮮にも通じるか

 イランの核問題が一歩前進したことで、「次は北朝鮮」という声も囁かれ始めている。

 イランの核問題も、北朝鮮の核問題も6か国協議で討議されてきたが、参加国の構成が異なる。双方にコミットしているのは、国連安保理常任理事国である米中露の3か国である。

 中でも、鍵をにぎっているのが米国だ。イランも、北朝鮮も、「反米」であるが故に米国を主たる交渉相手としているからだ。所詮、他の国の役割は、相撲に例えれば、土俵下の審判か、お見合いの「仲人役」にしか過ぎない。

 米国のオバマ政権は、イランが一段落したことで、北朝鮮の核問題解決に向けて外交交渉に乗り出すのではとの見方もあるが、どうやらオバマ政権が考えている「次は北朝鮮」という意味は、北朝鮮に対してもイランで功を奏した経済制裁と、圧力をさらに強めるということのようだ。

 それもそのはずで、イランは、2006年12月、2007年3月、2008年3月、そして2010年6月と4度の国連からの制裁でついに音を上げたが、北朝鮮もまた、06年10月、09年5月、12年12月、13年3月と4度にわたって制裁を掛けられている。

 オバマ政権は、国際社会が一致団結して7年にわたって経済制裁を科した結果、イランを追い込むことができたとみているようだが、果たして北朝鮮はどうだろうか。北朝鮮もまた、イラン同様に経済制裁の解除を求め、譲歩するだろうか?

 北朝鮮は2003年にリビアのカダフィ政権が制裁解除を条件に大量殺傷兵器の完全廃棄を宣言した際、「米帝国主義の威嚇・恐喝に負けて、戦う前にそれまで築いてきた国防力を自分の手で破壊し、放棄する国がある。恥知らずにも他の国々に対して自分の『模範』に見習えと勧告までしている」と、それまで「偉大な9月1日革命の指導者」と持ち上げてきたカダフィ大佐を痛烈に批判した「過去」がある。まして、カダフィ大佐はその後、反政府軍に追われ、最後は拘束、殺害されるという惨めな末路を辿っている。

 カダフィ大佐は英仏を中心に7か国が連合して、カダフィ大佐の政府軍への攻撃が加えられると、「米国に見捨てられた」と語っていた。核開発計画の放棄を見返りに体制保障した米国だったが、どの国よりもいち早く、カダフィ政権を見限った。

 皮肉な見方だが、北朝鮮の金正恩政権がリビア、カダフィから学ぶことがあるとすれば、核とミサイルは、そう簡単には手放してはならないということかもしれない。

 カダフィが倒れた後、北朝鮮外務省報道官は「リビア核放棄方式とは、安全保証と関係改善という甘い言葉で相手を武装解除させた後、軍事的に襲う侵略方式だということが明らかになった」とし、「地球上に強い権力と横暴な振る舞いが存在する限り、力があってこそ平和を守護できるという真理が改めて確証された」との談話を発表していた。

 制裁と圧力を強めれば、いずれ北朝鮮も落ちると、オバマ政権は自信を深めているようだが、任期は残り3年。それまでに北朝鮮はホールドアップするだろうか?

 ブッシュパパ政権の1990年から23年間延々と続いている北朝鮮の核問題がどう決着付くのか定かではないが、もうそろそろピリオドを打ってもらいたいものだ。