2010年12月10日(金)

中国特使訪朝後の明暗

 中国の戴秉国国務委員が訪朝し、金正日総書記と会談した。

 戴秉国訪朝の目的について日韓の今朝の新聞は金総書記にこれ以上挑発しないよう自制を求めたのではないかとか、核実験や濃縮ウラン開発を止めるように説得したのではないかとか、「今度挑発したら断固報復する」との李明博大統領のメッセージを伝達したのではないかとか、あるいは6か国協議について打ち合わせをしたのではないかとか希望的観測を伝えていた。

 会談の詳細については不明だが、明白なことは「率直で突っ込んだ話し合いが行われ、重要な共通認識に達した」ということだけだ。

 問題はこの「重要な共通認識」が何かだ。「重要な共通認識」がこれ以上韓国に対して武力挑発せず、また核実験も思いとどまり、6か国協議開催への誠意の証として追放しているIAEA(国際原子力機構)監視員を復帰させる措置を取るということなら万々歳だ。

 油断は許さないが、中国の特使の訪朝が成功し、その後、緊張が緩和され、朝鮮半島に対話の機運が生まれたことはこれまでにもしばしばあった。

 例えばブッシュ政権の2005年2月に北朝鮮が核保有を宣言し、6か国協議の無期延期を発表し、これに対抗し、ブッシュ大統領が「金正日のような暴君による暴政を終息させる」と宣言し、5月には「新時代の攻撃目標は国家でなく、政権である」と武力制裁も示唆し、緊張が高まった時の7月に前任の唐家セン国務委員が訪朝し、その結果、2週間後に6か国協議再開され、9月19日には歴史的な共同声明が採択されたこともあった。

 また、共同声明履行のための協議が決裂した2006年に激怒したブッシュ大統領が金総書記の誕生日の2月16日にマカオの銀行、BDA(バンク・オブ・デルタアジア)の北朝鮮関連口座の閉鎖を発表すると、北朝鮮は7月にテポドン・ミサイルを発射、そして10月には初の核実験で対抗。国連が経済制裁を決議し、またまた緊張が高まった時の10月に唐家セン特使が再度訪朝し、金書記と会談(19日)。その結果、10月31日 米朝中の3か国が北京で6か国協議の早期再開で合意。11月の米朝中による北京での3か国協議を経て12月には北京で6か国協議再開されたことはまだ記憶に新しい。

 今回もこのような結果を期待したいところだが、その一方で残念ながら逆パターンもある。

 実は2006年の核実験とテポドン・ミサイル発射実験は金正日総書記の訪中(1月)の年に行われている。また、昨年のテポドン・ミサイル発射実験(4月5日)と二度目の核実験(5月25日)も1月の王家瑞中国共産党対外連絡部長の訪朝と2月17日の武大衛外務次官の訪朝後に強行されている。

 また、今年3月の韓国哨戒艦撃沈は2月の王家瑞対外連絡部長の訪朝後に行われており、また10月からの北朝鮮の核実験の動きや濃縮ウラン工場の開示や軽水炉建設の着工、そして「延坪島砲撃事件」はいずれも8月の金総書記訪中後に行われていることだ。楽観は禁物とはこのことだ。

 金総書記は、昨年9月の戴秉国国務委員との会談で核問題について「2国間および多国間の対話を通じ解決したい」と発言していた。

 また、10月に訪朝した温家宝総理との会談では「6か国協議再開には反対しない」としながらも、復帰への条件として「米朝交渉の進展」を挙げ、非核化の条件としては「米朝の対決関係を平和関係にしなければならない」と平和協定締結を優先するよう求めていた。

 こうした金総書記の過去の発言を検証する限り、北朝鮮は米国が平和協定の締結交渉に応じない限りは、非核化に応じることもなければ、核実験や濃縮ウランの開発、さらにはミサイルの開発も止めることはないだろう。逆に米国が譲歩するその日までさらに拍車を掛けるだろう。

 中国の高官が訪朝したからといって、事はそう簡単ではない。

 米国は(6か国協議の)ボールは北朝鮮側のコートにあるとの立場だが、北朝鮮は逆に米国側にあるとの立場のようだ。主審の中国がどう調整するのか、戴秉国帰国後の関係国の動きを注視したい。